Amazonセラーセントラルアカウントの恒久的停止によせて
このたび学而図書は、ささやかに出店していた「Amazonマーケットプレイス店」を閉鎖し、ネット直販の窓口を当HP(学而図書オンラインストア)のみに絞ることになりました。なお、これは同マーケットプレイス上での直販に限ったことであり、取次経由で出荷される書籍は、引き続きAmazon.co.jpさまでも変わりなくご購入いただけます。
さて、この閉店の原因は、私が個人事業主として登録していた「Amazonセラーセントラル」のアカウントが停止(凍結)されたことです。そして、約2ヶ月にわたる手続きの末、アカウント凍結解除の可能性が潰えたため、同マーケットプレイス上の店舗を閉めざるを得ませんでした。
いま、私はあらためて、ネット上での物販を外部プラットフォームに依存することの怖さを感じています。この感覚を忘れる前に、雑記として、今回の経緯と現状での思いを記しておくことにしました。
なぜマーケットプレイス店を開いていたか
そもそも、学而図書は出版取次を経由し、各ネット書店さまで書籍の販売を行っています。それにもかかわらず、なぜAmazonマーケットプレイスに店舗を構えていたかといえば、巨大書店であるAmazon.co.jpさま(以下、敬称略)で品切れが発生した際の対応のため、というのが最大の理由でした。
学而図書のような零細出版の本は、たとえ品切れになっても、たくさんの数を追加で仕入れていただけるわけではありません。また、新刊時の入荷数も少ないため、発売直後は品切れが頻発します。そして、日本では、Amazon.co.jpで商品が売り切れると、他のネット書店を見ていただけず、お客様が諦めてしまうというケースが多発するのです。
そういう場合でも、同マーケットプレイスに直営の店舗があれば、品切れにすることなく、商品のカートボタン(「カートに入れる」と書いてある、あの大きなボタンです)を維持することができます。私は、このカートボタンを代わりに引き受ける立場になれるよう、大口出品者として、毎月約5,000円の月間登録料を支払い、店舗を維持してきました。
大口出品者であれば、商品をマーケットプレイスに新規登録することもできます。このおかげで、リトルプレスの商品もAmazon.co.jpで直接販売することができ、これは面白いな、と私は無邪気に考えてきたのでした。
突如として起きたセラーセントラルのアカウント停止
しかし、去る9月18日、「セラーセントラル」というマーケットプレイス出店者用のページに、「アカウントは無効になっています」という表記があらわれました。これが、いわゆる「アカウント停止」あるいは「凍結」で、その理由は、本人確認ができないから、となっています。
通常、凍結前にはメール等で連絡があるらしいのですが、こういった事前通告もなく(Amazon.comから英文で本人確認依頼っぽいメールはあったのですが、それは別問題だそうです)、いきなりのアカウント停止となったことが、そもそも不思議な事態でした。
それでも、きちんと手順を踏んで本人確認さえすれば回復するはずだと、私は当初、楽観していました。だいたい、こういった凍結の基準となる「アカウント健全性」にはまったく問題がなく、手数料だって、毎月きちんとお支払いしています。お急ぎ便を使いたいからと、同社の倉庫に商品を預けるFBA(配送代行サービス)だって利用しているのですから。
しかし、それから2ヶ月弱、毎週のようにサポートの方とお電話し、指示された通りの対応をしても、私のアカウント停止はいっこうに解除されませんでした。手数料だけが引き落とされる中(アカウントが一時停止された月も登録料は支払うという規約があります)、いつまで経ってもストアの再開は認められません。
私はひたすら、免許証の画像を送り、パスポートの画像を送り、ビデオで顔も撮影し、ときにはサポートの方に付き添っていただきながら本人確認を行ってきました。それなのに、ことごとく「審査の期日を過ぎても連絡がない」「完了画面に進んだのに、データが届いていない」等々、問題が起きるばかりで、なぜか本人確認の審査がまったく通らないのです。
そのたびに、私は「審査が通過しなかった理由を教えてほしい」とお願いするのですが、「理由は開示されない」というお返事が届くばかり。そして、昨日11月6日、「Hello!」で始まり、アカウントが無効となってAmazon.com での販売資格を失う(うちのストアは.co.jpにあるのですが)という内容が続き、「Thanks!」で本文が終わる、私への宛名もない、スパムのようにすら見えるメールが届きました。そのあとでサポートの方からお電話があり、これが正式なメールなのだと通知されて、私は色々な意味でショックを受けています。
なお、この約2ヶ月間のプロセスでは、次のような不可解な事態が発生していました。私は、アカウント情報の取り違え等が生じているのではないかと推測し、サポートの方にも確認を依頼しています。
- 日本のアカウント向けの停止予告メール(本人確認メール)が最初に届いていない
- その後も、本人確認を依頼するメールが、なぜか届かない
- サポート経由で発行してもらったURLは、なぜか中国籍の確認用(私は生まれも育ちも日本です)
- メールが英語でしか送られてこない
- 本人確認を確かに完了させているのに、審査結果が送られてこない
その後、サポートに電話して確認すると、「データが届いていない」と伝えられる - サポートの配慮で証拠画面まで残していただいた本人確認なのに、期日を過ぎても返事が来ない
- 審査結果メールが届かないので問い合わせると、内部的には審査で不許可になっている
- Amazon.comでの販売資格停止の連絡が、なぜかAmazon.co.jpの署名入りで届く
いずれにしても、この結果から判断するに、私の訴えは認められなかったのでしょう。カスタマーサポートの皆様には、問題の解決に向けて粘り強くお力添えいただいたことを感謝申し上げます。
こうして、私のアカウントは、おそらく永久に凍結されることになりました。そして、アカウントが停止されている間は、その解約すらもできないそうです。どれほど悲しくても、私のセラーセントラルアカウントは消すことすらままならず、これからもずっと、凍ったまま寝かされています。
プラットフォームに生殺与奪の権を握られることの怖さ
私はこの一件を通して、ネット上で外部プラットフォームに商品販売を依存することの怖さを、いち事業者として強く認識することになりました。以下は、Amazon.co.jpさまの問題としてお話しするのではありません。あくまで一般論としてお読みください。
たとえば今回、「本人確認ができない」という理由でアカウントが停止され、正式な手段で何度申請し直しても、再開は認められませんでした。そして、(不正や詐欺、権利の侵害の疑いではなく)単なる手続き面で許可が得られず、その判断の理由も開示されない以上、参加店舗側は何の対応もできないまま、撤退を選ぶほかありません。こうした手続きの不備を理由とするなら、プラットフォーム側は、不要な店舗に反論や販売計画変更などの余地を与えないまま、一方的に排除することも(原理的には)可能です。
これはどのようなプラットフォームでも起きうる事態であり、見方を変えれば、プラットフォーム側が、加入店舗の生殺与奪の権をしっかり握っているということでもあります。考えてみれば当たり前のことで、運営側にとって不都合な店舗や、不正を働く店舗を一方的に追い出す手段は、プラットフォーム側にも必要でしょう。そもそも、店舗を開く側の私たちにしてからが、加入店舗に対するあらゆる対処を呑むことになる規約に同意してでも、巨大プラットフォームのメリットを享受する道を選んでいるのです。
しかし、こうやって追い出される当事者となり、「手数料を払い続け、何も違反をしていないのに、突然の事態でそのまま排除される」という状況に身を浸してみると、その怖さをしみじみと感じます。もし、私が事業内容のすべてを外部プラットフォームに依存しきっていれば、今回の事態一発で廃業という可能性すらあったでしょう。
プラットフォームに依存しない基盤の重要性
少し観点は異なりますが、プラットフォームに依存するべきでないという記事は、私が愛用するWordPressテーマ・TCDのメールマガジンやブログにもたびたび掲載されており、私はこれらを読んで「もっともだ」と頷いていました。
ネット販売を外部のプラットフォームに依存する体制に陥ってしまえば、割高な手数料を徴収され、低価格競争に巻き込まれるだけでなく、リピーターは生まれにくくなり、プラットフォームへの依存度は日に日に高まっていきます。そうやって、プラットフォームとの力関係において完全に弱者となった店舗(コンテンツホルダー)は、手数料の値上げを一方的に通告されても、それに抵抗することすらできません。
学而図書HPは、EC機能が独自に組み込まれており、弱小であろうが何であろうが、最終的には自前で商品をネット販売することができます。このホームページをECサイト化した理由は「勢い」なのですが、そのときに、「プラットフォームに依存しない場をつくっておくか」という思いも、実は少しだけあったのです。
そして、今回は思わぬ形で、新たな側面から、プラットフォーム依存の危険性と、自前のECサイト所有の重要性を痛感することになってしまいました。EC機能を組み込んだHPは、どうしても管理の負担が増しますし(トラブルもそれなりに起きます)、決済手段の導入・管理も、自力で行わねばなりません。ただ、今回の事態に至っても、自分自身でECサイトを所有しているために、まあ何とかなるか、と割り切れたことも確かでした。
特に、学而図書は、勇気をもって科学的見解にもとづいた意見を発信する防災研究誌『TEN』をはじめ、いまの世の多数派の考えではなくとも、信念をもって語られることばを遺すべく、本をつくってきました。その意味では、外部のプラットフォームにはいつ排除されてもよいという覚悟を決めておくことが、出版者の側にも必要なのでしょう。この2ヶ月間の苦闘は、私にとってよい勉強となり、そして、今後の己への戒めにもなりました。