「描く狂言」開設によせて―新たな世界の扉がひらくとき―

学而図書のコラムに、新連載「描く狂言」が、いよいよ2月5日から加わりました。

「描く狂言」は、三宅晶子先生(横浜国立大学名誉教授)の解説と、岩田千治さん(奈良大学文学部)のイラストで、日本の伝統芸能「狂言」の魅力をお伝えするコラムです。お陰様で開設以来、多くのご来訪者さまからたいへんご好評をいただいております。

「描く狂言」は、ただ単に演目の内容をイラスト化したり、あらすじをわかりやすくまとめたコラムではありません。知識や情報がコンパクトに整理された入門書のようなものを思い描いてお読みいただいた方は、きっと驚かれたのではないでしょうか。

初めて狂言に接した瞬間のイメージを描き留めた岩田さんのイラストは、新しい世界への新鮮な驚きに満ちています。そして、岩田さんの感動に触発された三宅先生による解説は、狂言の見所に目の付け所、大学での授業の雰囲気などなど、あらゆる方向へと広がってゆきます。その両者が複雑に絡み合ったコラムが「描く狂言」です。

それぞれの演目の面白さを伝えるコラムのようでもあり、狂言の見方を教えてくれる解説書のようでもあり、狂言に慣れ親しんだ方に新たな発見をもたらす専門書でもあるような、ちょっと不思議なコーナーだと言えるのではないでしょうか。

このコラムの編集を担当している私自身は、「狂言って面白い!」と共感している人たちがわいわいと生み出している空間に、読者が思わず一緒に入り込んでしまう、そんな雰囲気の場所に「描く狂言」が育っていってほしいと願っています。

私がそう思う理由は明確で、単に知識を整理して伝えられても、あらすじを丁寧に説明されても、それだけでは、人間は新しい文化の世界の住人にはなれないからです。

狂言や能楽に関する「知識」だけなら、誰でも学校で教わったり、入門書で読み習ったりすることができるでしょう。ですが、それ自体は、私たち自身が狂言の世界にどっぷりと浸ったり、狂言の面白さを受け止める新たな感性が自分の中で目覚めたり、といったことには繋がりません。

言ってみれば、単なる知識の伝達では、私たちの心の中に、新たな世界への扉がひらくことはないのです。私たちが今までとは違う何かを面白く感じるようになったり、大切だと考えるようになったりすること、かたく言えば「価値観や文化の変容」といった出来事は、単なる知識の伝達やお勉強だけで生じるようなものではありません。

私たち自身の人生を振り返ってみたとき、自分の中の価値観が変化し、新たな感性がひらいた瞬間はどのようなときだったかを思い起こしてみれば、それは明らかなはずです。

あえて言うなら、私たち人間の感性が新たな世界へとひらくのは、何かを心底「面白い」と感じている人たちの中に巻き込まれ、自分自身もその営みとひとつになったときなのではないでしょうか。

狂言を初めて観た岩田さんと、ずっと狂言の善さを理解してきた三宅先生の間で生まれた「面白い!」という共感の渦。それがぐるぐると回転しつづけているようなページとして「描く狂言」を形にしたい、そう私は思っています。

その渦の中に読者の方が巻き込まれ、「なるほど、狂言って面白い!」と感じていただけるなら、編集者としても、これほど嬉しいことはありません。三宅晶子先生の掲げた「狂言の扉をひらく」という標語のとおり、コラム「描く狂言」が、多くの方の心のうちに新たな扉をひらくきっかけとなれば幸いです。

笠原 正大

学而図書 代表

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