本記事では、学而図書より2022年6月に刊行された『「現代の国語」はなぜ嫌われるのか 高校国語の歴史研究と実態調査が示す新たな可能性』(笠原美保子 著)要旨の解説を通して、国語科目「現代の国語」の成立背景、戦後から残る高校国語の課題、課題克服への道のりなどを概観していきます。
戦後「新教育」から続く、類似科目の歴史
高校国語科において、「話すこと・聞くこと」「書くこと」の指導を中心に据えた科目は、「現代の国語」が初めてではありません。しかし、そのいずれにおいても、目的とされた指導内容を充実させられず、成功とはいえない結果に終わってきました。
『「現代の国語」はなぜ嫌われるのか』著者は、その流れを以下の三者に整理し、各時代でそれぞれの科目が直面した課題をまとめています。
- 戦後新教育期(いわゆる「新教育」)
- 昭和53年度版学習指導要領に登場した「国語表現」
- 平成元年度版学習指導要領に登場した「現代語」
無関心と批判に終始した高校国語科「新教育」
いわゆる戦後の「新教育」期に告示された『中学校高等学校学習指導要領国語科編(試案)昭和二十六年(一九五一)改訂版』に掲載されている目標と、「現代の国語」の言語活動例を比較すると、両者の想定する言語活動は、以下のようにほぼ一致しています。
- 「話すこと・聞くこと」領域=スピーチ・報告・会議・発表
- 「書くこと」領域=論文・実用文・調査報告書や説明資料
しかし、当時の教育現場の現状は、「新しい国語学習指導法に対して、もっとも敏感に反応したのは小学校であり、中学校がこれに次ぎ、高等学校にいたってはむしろ無関心」1)といったものでしかありませんでした。当時、東京大学附属高校の教員であった宮崎健三は、その理由を、高校教員の国語国文学研究至上主義にあると分析しています。
1)宮崎健三「高等学校の国語学習指導の反省」『実践国語』1953年2月、明治書院、p.21
また、本書著者は、この宮崎氏の分析に加え、高等学校における「新教育」の失速理由を以下のようにまとめました。
- 高等学校の学習指導要領と教科書の編纂が遅れたこと
- その遅れの期間に、「新教育」に対する「学力低下」批判が生じたこと
- 新制高校教員が教育の大衆化に批判的であり、それが「新教育」批判につながったこと
- 学習指導要領が示される以前に、新制高校が大学入試への対応を余儀なくされていたこと
- 高校の教育課程を無視した大学入試問題が無くならなかったこと
このような事情のもと、新制高等学校の国語科教育「新教育」は、その開始時からほぼ前に進むことのできない状況に陥っていたといえます。
転用される「国語表現」、短命だった「現代語」
また、「昭和53年版学習指導要領」で誕生した国語科目「国語表現」と、その10年後に生まれた「現代語」を、その指導内容から「現代の国語」の先輩にあたるものだと著者は位置づけています。そして、著者自身がは2002年に自身が実施した全国調査の結果として判明したのが、以下のような状況でした。
- 「国語表現」「現代語」のいずれも、いわゆる「進学校」では開設されにくい
- 「国語表現」は「作文と話し方」を指導する科目だが、「話し方」の授業は少ない
- 「現代語」は漢字・語句の練習、「国語表現」は小論文演習というすみ分けが見られる
- 「国語国文学研究」の中に伝統をもたない科目は、嫌われる傾向がある
この調査から判明した事実のひとつに、「国語表現」では、本来の指導領域ではない独自の教育内容が設定されている事例が多い、ということがあります。この点について、著者は、本来なら「学校設定科目」とされるべき内容であっても、実際には教育委員会に認められるためのハードルが高いことから(「大学受験や資格取得等の対策は不適切」等)、「国語表現」が転用されるのであろうと推測しています。
そして、「現代の国語」の先輩科目といえる「現代語」は、わずか6年後に終了が発表される短命な科目となりました。当時、必修科目「国語Ⅰ」の教科書採択数が187万冊であった2)ことに対し、「現代語」は8万冊程度の規模であり、この科目は現場に定着することのないまま役目を終えたといえます。
2)大平広也「能力中心から言語中心に改めよ」『提案・二十一世紀の国語科学習指導要領』明治図書、1997年
「現代の国語」が抱える課題とは何か
過去の「現代の国語」類似科目が掲げた指導目標は、高校国語科において定着しないまま、無関心、転用、短命といった道筋を辿ってきました。
「現代の国語」が同様の道を歩まないためには、なぜ、過去に示された同様の指導目標を、教員が実施しがたい・受け入れ難いと考えたのかを分析し、その克服策を具体的に考察する必要があるはずです。