本記事では、学而図書より2022年6月に刊行された『「現代の国語」はなぜ嫌われるのか 高校国語の歴史研究と実態調査が示す新たな可能性』(笠原美保子 著)要旨の解説を通して、国語科目「現代の国語」の成立背景、戦後から残る高校国語の課題、課題克服への道のりなどを概観していきます。
新科目「現代の国語」成立の背景
『「現代の国語」はなぜ嫌われるのか』において、著者は、高校国語のもう一つの必修履修科目「言語文化」と比較しながら、「現代の国語」の特徴を
1)実社会に必要な、即効性・実用性の高い知識や技能を身につけること
2)「話すこと・聞くこと」「書くこと」に特化した科目であること
と整理しています。
その上で、「現代の国語」の目標として「実社会」の言葉が掲げられた『高等学校学習指導要領(平成30年告示)解説国語編』にある以下の記述を挙げながら、この「実社会」という文言が、「『話すこと・聞くこと』『書くこと』領域の学習が十分でない」という課題と関連して生まれたことを著者は指摘しました。
「話合いや論述などの『話すこと・聞くこと』、『書くこと』の領域の学習が十分に行われていない」という課題を踏まえ、特にこうした領域が、実社会における国語による諸活動と関係が深いことを考慮し、実社会における国語による諸活動に必要な資質・能力を育成する科目として、その目標及び内容の整合を図った。
『高等学校学習指導要領(平成30年告示)解説国語編』p.10
このように、国語を「実社会」と「我が国の言語文化」に二分化する動きは、2002年(平成14年)の文部科学大臣による諮問「これからの時代に求められる国語力について」を受けて行われた、文化審議会国語分科会の議事の中に見出すことができます。
特に、第3回分科会においては、文章の構成法を詳細に教えるカナダの国語教育と日本の国語教育の比較のもと、文学偏重の日本の国語教育においては、言語能力の育成や、文学的文章以外の文章を読み取る訓練が不足していることが指摘されました。その上で為された提言が、「国語科を二つに分けること」であったのです。
今の国語科を二つに分けて、文学を読ませる教科と言語指導を行う教科とすること。……学習指導要領に基づいて言うならば、話すこと、聞くこと、書くこと、説明文と呼ばれている文学作品以外の文章を正確に読む、これらの技術を教える。また言語事項で示された事柄を学ばせる。
文化審議会国語分科会第3回議事要旨、2002年5月29日
この提言に対しては、分科会の中でも賛否両論あったものの、2004年2月に出された「これからの時代に求められる国語力について(答申)」において、「教科内容を情緒力の育成を中心とした『文学』と論理的思考力などの国語の運用能力を中心とした『言語』という2分野に整理していくことも考えられる」1)と紹介されることになりました。著者は、その後「平成30年度版学習指導要領」で実現した構想を、この2002年(平成14年)の文化審議会国語分科会に端を発したものであろうと推測しています。
1)文化審議会「これからの時代に求められる国語力について(答申)」2004年2月3日、p.16
そして、「平成30年度版学習指導要領」とその解説において明記された以下の文章によって、「読むこと」の教材は「論理的な文章及び実用的な文章」に限定され、文学的な文章を「読むこと」の学習は認められないことが決定づけられました。
内容の〔思考力、判断力、表現力等〕の「C読むこと」の教材は、現代の社会生活に必要とされる論理的な文章及び実用的な文章とすること。
平成30年度版学習指導要領、「現代の国語」留意事項
論理的な文章も実用的な文章も、小説、物語、詩、短歌、俳句などの文学的な文章を除いた文章である。
『高等学校学習指導要領(平成30年告示)解説国語編』p.97
学習例に存在した「文学作品等を読んで批評する活動」
その一方で、「平成30年度版の学習指導要領」の審議においては、「現代の国語(仮称)」の活動例に「文学作品等を読んで、構成や展開、優れた表現などの効果について言葉の意味や働きに着目して批評する活動」が記されていたこと2)は注目に値します。
2)文部科学省「審議のまとめ」、2016年8月26日
この審議のまとめでは、「古典を題材にとった小説」を教材とする場合、表現の工夫や物語の展開について、根拠に基づいた論述や議論を行う学習が考えられるとされました。そして、この活動例は『学習指導要領(平成30年度告示)解説』にも引き継がれ、「別添参照」として間接的に記載されることになります。
また、特に重要なのは、「どのような能力を身につけさせたいかという指導の目標を、教材を使って達成するという考え方を新しい科目構成によって行って」いく3)という方針が明示されたことです。
3)文部科学省「教育課程部会 国語ワーキンググループ(第5回)議事録」、2016年3月14日
教員が授業を行う上での大前提となる考え方のひとつに、「教材によって指導が固定化するのではなく、どのような教材であっても、どのような能力を身につけさせたいかという指導の目標を、教材を使って達成する」というものがあります。著者はこの考えを「授業を規定するのは『教材』ではなく『指導の目標』である」と整理し、上記の方針を踏まえて以下のように結論づけました。
「現代の国語」教科書に小説を載せてはいけないのか、その問いの答えはここに明らかになった。「現代の国語」教科書に、必ずしも小説を載せてはいけないというわけではない。ただし、「現代の国語」の「読むこと」の領域の教材文種は「論理的な文章及び実用的な文章」に制限されているので、「話すこと・聞くこと」や「書くこと」の領域の目指す資質・能力(目標)を達成するために、その小説を「読む」という言語活動を行うことが十分適切である場合に限られる。
笠原美保子『現代の国語はなぜ嫌われるのか』pp.36–37
「現代の国語」最大の問題点とは何か
しかしながら、「現代の国語」が「小説を扱わない科目」と規定されたことによって、この科目の最大の問題が生じたと著者は説いています。
「現代の国語」をめぐる最も大きな問題は、この科目を「小説を扱わない科目」と位置づけたことによって、教材の文種で科目内容を規定させてしまったことではないだろうか。それは「教材主義」の容認にほかならない。なるほど教材は「論理的な文章及び実用的な文章」である。しかし、そこで行われる授業は、生徒の実態に合わせて目指す資質・能力(目標)を設定することを出発点とした授業ではない。そういうことが起こり得るのが、現在の「現代の国語」の置かれた状況だ。「教材主義」の容認は、〔授業を規定するのは「教材」ではなく「指導の目標」である〕という基本的な了解事項の定着を阻むものであり、長く高等学校での実践に取り組んできた著者の視点からすれば、授業改革の妨げとなりかねない判断とも見える。
笠原美保子『現代の国語はなぜ嫌われるのか』pp.42–43
学校教育における優れた実践とは、目の前の生徒の実態に即し、彼ら・彼女らにとって価値ある時間を創出しようとする教員の不断の意志のもとでぎりぎり成立している、と私は個人的に感じてきました。その意味では、生徒の姿を念頭に置いた上での指導目標ではなく、教材自体が授業内容を規定する「教材主義」が安易に蔓延したとき、学校教育の目に見えない、しかし最も大切な部分は削ぎ落とされてしまうかもしれません。
その一方で、「現代の国語」に小説が載ることで生じうるより大きな弊害、すなわち、旧科目と全く変わらない授業が展開されてしまいかねない、ということへの危惧に対しては、著者も同意を示します。なぜなら、高等学校国語科の歴史とは、「現代の国語」が目指す方向の改革である「話すこと・聞くこと」「書くこと」の指導が定着してこなかった歴史であるともいえるからです。