療養期に「民藝」の思想と出会うまで
学而図書は、その設立の当初から、「人間個々の美意識や、そのときの権威的・多数的な判断とはまったく異なる領域で、人間の集合的知性は真に優れたものを選別する」という前提のもとに動いてきました(前回の記事はこちら)。そして、このような大それた思いが私の内に構築された大きな原因は、壊れた身体を抱えて通院に明け暮れるしかない療養期に、柳宗悦が掲げた「民藝」の思想と出会ったことでした。
すでに版元日誌(版元ドットコム)でも述べた通り、めちゃくちゃな働き方をした末、40代のはじめに私を突如襲った原因不明の病状は、学校教員としては再起不能だと自覚するほど、ひどく己の身体を蝕みました。
ある日、いきなり頭の上半分が肥大化して(グレイと呼ばれる宇宙人そっくりでした)救急搬送されたことが、ことのはじまりです。それからわずか1週間ほどで、私の体の毛という毛がほぼすべて抜け落ちました。風呂の排水溝に山のように積みあがる頭髪を見る苦しさ、毎朝、抜け落ちた髪の中に顔を埋めて目を覚ますことの悲しさは、なかなか忘れられるものではありません。
明らかに病的となった風貌は、鏡を見るたびに私をひどく落ち込ませます。しかも、自律神経まで猛烈におかしくなり、私の心身は正常なバランスを保つことができなくなっていきました。他人と何かを話すだけで猛烈に緊張し、目の前を滝のように汗が流れ落ちます。夜眠れないと思えば、朝は体が動きません。めまいやら何やら、毎日のように異なる不調が、次々と身体に降りかかってきます。
大けがや癌などのような致命的な傷は負っていなくとも、心身の自律的な調整能力を失っただけで、人間はまともに活動できなくなるのですね。私は、人間ならではの「社会的な死」というものの存在に改めて気づかされ、恐怖を噛みしめて生きていました。
病院の待合室で「民藝」思想の存在を知る
そんな有様で病院通いを続ける私に、妻が読むようすすめてくれたのが、新潮社の雑誌『波』(2019年12月号)に連載されていた土井善晴氏の手記「おいしく、生きる。」最終回でした。私はそれ以前から同氏のレシピを愛読・愛用してきたのですが、その土井氏が、同じように40歳頃を境に苦しんでいたことが書かれている、と妻は言います。
翌日、病院の待合室でじっと自分の順番を待ちながら、私はこの手記を読みふけりました。土井氏は、30代に父君の料理学校を継ぐという人生の転機を迎えてから、激務のなかで肉体的にも精神的にも厳しい状況に陥っていったといいます(以下、この手記の一部を引用させていただきます)。
……1日に一つ以上のレシピを作るために、週1回は徹夜で試作。試作して食べる量も半端ないですから、どんどん太っていくことを実感しました。
土井善晴「おいしく、生きる。」第12回、新潮社『波』2019年12月号所収
同時に、人生の一大事という出来事がいくつも重なりました。料理学校の危機から始まる30代はたいへんでした。父がクモ膜下出血で倒れたのです。……学校での料理指導改革をなんとか進めた後、料理学校を辞し奈良県生駒に拠点を一時移します。その後東京へ移転、そして父の死、落ちて行く予感・不安……精神的にもかなりきつかったのだと思います。そんな状態になると、人間は味が感じられなくなるんですね。……料理研究家としても、人間としても、ぎりぎりのところにいたと思います。
自暴自棄になって、体によくないとわかっていたタバコも無理に吸っていました(娘が生まれた日にタバコはやめました)。疲れとストレスから来る体調の悪さは身体のあちこちに症状として出ていました。ですから、40をすぎた頃、50には死んでいるんじゃないかと思っていました。
当時、私自身が過労を発端とする危機的状況にあったことに加えて、日頃から同氏のレシピを愛用している親近感も影響したのでしょう。こうして綴られた土井氏のことばは、私の身体の芯に響いてくるようでした。この手記の後半で触れられている「民藝」という単語がなんだか気になったのも、このときです。
その後、土井氏の他の著作を買い求めて読み進めるうち、同氏と「民藝」思想の関わりがもう少しだけ読み取れるようになりました。プロの料理人として料亭などで修行を重ねていた土井氏が、父君の料理学校を引き継ぎ、家庭料理の番組を担当することになったこと。プロからは「技術がいらない」「日常には美しいものはない」と思われている家庭料理の世界で、自身が生きることに苦悩していたこと。しかし、「民藝」の世界に触れたことを契機に、その認識が変化していったこと。土井氏は、中島岳志氏との対談を記録した『料理と利他』(ミシマ社)でも、次のように述べています。
でも、淡々と真面目に仕事すること、自分が生活をするということで、美しいものはあとからついてくるじゃないかということを、河井寛次郎や濱田庄司は、発見するわけです。……そうすると、家庭料理もそれと同じだなと思ったのです。毎日食材という自然と向き合い、じかに触れながら、家族を思って料理する。そういった日々の暮らしを真面目に営み、結果として美しいもの(暮らし)がおのずから生まれてくる。そのとき、プロの料理人を目指していた私が下にみていた家庭料理のなかに、本当に美しい世界があるということに、気づいたのです。
土井善晴、中島岳志『料理と利他』ミシマ社、2020年
「民藝」思想と「自然の大智」
土井善晴氏の文章や考え方に深く感銘を受けた私は、それまで「みやげもの屋によくある民芸品」的な捉え方しかしてこなかった「民藝」というものについて、すぐにでも知りたいと思いました。そして、急いで手に入れた柳宗悦の手による文章『民藝とは何か』が、私に新たな、そして強烈な衝撃を与えたのです。
柳宗悦が柔らかなことばで説く「美」の本質は、日本という風土に生きる者の自然観、道徳観、宗教観の根本に至るものであり、それまで私が抱いてきた数多くの疑問への回答となりうる思想が、そこに力強く描かれていました。それらを読み進めるなかで、私の心の内に、「個や自我にもとづく智を超えた、より大きな自然の智」への思いが醸成されていくことになります。
……文が長くなるばかりでお恥ずかしいかぎりですが、もう一回だけつづきます。私なりに理解した「民藝」の思想、日本で生きる者に自ずと培われる自然観、それが「道」をはじめとする「自我を超えた智」を受容する基盤となっていることなどについて触れながら、いま「書かれたことば」を形にする意味を述べさせてください。